2014/08/14

Re: Re: スタンレー・ミルグラム「服従の心理」

いくつか引用。

服従的な被験者でいちばん多い調整は、自分が自分の行動に責任がないと考えることだ。(中略)自分自身を、道徳的に責任のある形で動いている人物としてではなく、外部の権威の代理人として動いている存在として見るようになる。(P.24)
実験者の権威にあらがえなかったかれらは、すべての責任を実験者に追わせる。(P.24)
責任感の消失は、権威への従属にともなう最も重要な帰結である。(P.24)

これは耳が痛い。仕事の中で「判断できない」わけではなく「判断したくない」ときに上長の判断を仰ぎ、責任を逃れようとすることがある。「上長の判断だから」と。ずるいな。

ここでアイヒマンに興味を持つ → ハンナ・アーレントに興味をもつ → ハンナ・アーレント「人間の条件」を買う → 難しいぐぬぬ


権威は、「名声」とう点で特に高い地位を持つ必要はない。たとえば劇場での案内係は、社会的コントロールの源であり、みんなその人に自主的に従う。(P.211)
権威への服従度合いは、アフリカのアシャンティ族だろうとアメリカの工場労働者だろうと似たようなものだろうが、アシャンティ族の場合には、権威となる人物はすべて、おそらく個人的に知っている人物なのに、現代の工業世界は個人に非人格的権威にも服従するよう強制するので、バッジや制服、肩書きなどが示す抽象的な階級に対しても反応が生じる。(P.209)

バッジや肩書きが威力を発揮するのはよく分かる。場合によっては「それっぽく見える」というのが重要だと思う。だらしない見た目でオドオドして自信なさげに話す人の話を信用するのは難しい。小奇麗な見た目で堂々と自信を持って話す人は無条件に説得力がある。


人がどのように世界を解釈するかを変えれば、その人の振る舞いはかなりの部分コントロールができてしまう。だからこそ、革命や戦争など個人がとんでもない行動を要求される状況においては、人間の条件を解釈する試みであるイデオロギーが常に大きな役割を果たす。政府はプロパガンダに多額の投資をする。(P.218)

(ちょっと話は違うけど)交渉や説得でも、重要なのは状況のコントロールだと最近思う。真っ向から相手を説得するのも一つの方法だけど、状況をコントロールして相手を誘導するのがベスト。目的は合意の獲得であって、言質を取ったり事実を突きつけて「うん」と言わせることではない。勝ち負けの様相を呈したら失敗する。相手に「説得された」と思わせず「自分で決めた」と思わせることが肝心。にらみあう構図ではなくお互いが同じ方向を向くように状況をコントロールする。


自発的な参加の心理的な結果として、約束感と義務感が生まれ、それがこんどは被験者を自分の役割に縛る。(P.213)
人々は恫喝で(たとえば銃を突きつけるなどすれば)社会的コントロールの源に従うが、そうした状況での服従は、しっかり見張っている場合に限られる。銃撃手がいなくなれば、あるいはその制裁力が排除されれば、服従も止まる。正当な権威に対する自発的服従ならば、非服従に対する主な制裁は、当人の内部からやってくる。それは恫喝には依存せず、自分の役割に献身しているというその当人の感覚から生じている。この意味で、かれの服従には内部化された根拠があり、単に外的な条件だけで生じるのではない。(P.213)
従順な行動には保存性がある。
(中略)
被験者に要求される行動の反復的な性質は、それ自体が束縛力を持つ。被験者はますます強くなる電撃を加えるにつれて、それまで自分のやってきたことを正当化しなくてはならない。その正当化の方法の一つは、最後まで続けることだ。もし中断したら、かれは自分にこう言うことになるからだ。「これまで自分がやってきたことはすべて悪いことだった。中断することはそれを自認することだ」。(P.225)

「影響力の武器」で言う、コミットメントと一貫性の話。


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