上記の本を読み始めた。序章を読んでいると面白くて惹きつけられる。しかしすごい既視感。以前読んだ下記の本の文庫版だった。文庫版になるにあたって改題された本だったつらい。
文庫版があればいいので、ハードカバーな「日本人が知らない 説得の技法」が欲しい人には手渡し可能な場合に限り差し上げます。
valvallow@x1 ~ % { echo hoge ; echo fuga ; echo piyo ; } hoge fuga piyo valvallow@x1 ~ % { echo hoge ; echo fuga ; echo piyo ; } | sed 's/o/a/g' hage fuga piya valvallow@x1 ~ % { echo hoge ; echo fuga ; echo piyo ; } | sed 's/o/aaaaaaaaaaaaa/g' haaaaaaaaaaaaage fuga piyaaaaaaaaaaaaa
どちらも当たりだった。
あとは十二国記。やっぱ十二国記はいいねえ。図南の翼 → 華胥の幽夢 → 丕緒の鳥、とデタラメな順番で読んだので、頭から順番に読むことにした。ということで、まずは「月の影 影の海」。先の3冊以上に読みやすく、あっという間に読んだ。
交渉・説得の勉強の一環で読んだ。すっげー勉強になった。外交のことなんて全然わからなかったけど、興味を持って外交関連のニュースを見れるようになった。これは読み直す系だな。
目次
序 外交実務者の視点から 1 米国・北朝鮮・中国との関係を考える( ・米国とどう付き合うか ・北朝鮮問題の鍵 ・中国脅威論をどう捉えるか ) 2 包括的安全保障とは何か( ・武力行使の法的評価―湾岸戦争からイラク・米英戦争まで ・大量破壊兵器拡散にどう対抗するか ・安保理改革と日本 ・日米安全保障関係の現状と問題点 ) 3 国際社会にどのように貢献するべきか( ・人間の安全保障と地球規模問題 ・日本の経済協力と人的貢献 )
いくつか引用。
服従的な被験者でいちばん多い調整は、自分が自分の行動に責任がないと考えることだ。(中略)自分自身を、道徳的に責任のある形で動いている人物としてではなく、外部の権威の代理人として動いている存在として見るようになる。(P.24)
実験者の権威にあらがえなかったかれらは、すべての責任を実験者に追わせる。(P.24)
責任感の消失は、権威への従属にともなう最も重要な帰結である。(P.24)
これは耳が痛い。仕事の中で「判断できない」わけではなく「判断したくない」ときに上長の判断を仰ぎ、責任を逃れようとすることがある。「上長の判断だから」と。ずるいな。
ここでアイヒマンに興味を持つ → ハンナ・アーレントに興味をもつ → ハンナ・アーレント「人間の条件」を買う → 難しいぐぬぬ
権威は、「名声」とう点で特に高い地位を持つ必要はない。たとえば劇場での案内係は、社会的コントロールの源であり、みんなその人に自主的に従う。(P.211)
権威への服従度合いは、アフリカのアシャンティ族だろうとアメリカの工場労働者だろうと似たようなものだろうが、アシャンティ族の場合には、権威となる人物はすべて、おそらく個人的に知っている人物なのに、現代の工業世界は個人に非人格的権威にも服従するよう強制するので、バッジや制服、肩書きなどが示す抽象的な階級に対しても反応が生じる。(P.209)
バッジや肩書きが威力を発揮するのはよく分かる。場合によっては「それっぽく見える」というのが重要だと思う。だらしない見た目でオドオドして自信なさげに話す人の話を信用するのは難しい。小奇麗な見た目で堂々と自信を持って話す人は無条件に説得力がある。
人がどのように世界を解釈するかを変えれば、その人の振る舞いはかなりの部分コントロールができてしまう。だからこそ、革命や戦争など個人がとんでもない行動を要求される状況においては、人間の条件を解釈する試みであるイデオロギーが常に大きな役割を果たす。政府はプロパガンダに多額の投資をする。(P.218)
(ちょっと話は違うけど)交渉や説得でも、重要なのは状況のコントロールだと最近思う。真っ向から相手を説得するのも一つの方法だけど、状況をコントロールして相手を誘導するのがベスト。目的は合意の獲得であって、言質を取ったり事実を突きつけて「うん」と言わせることではない。勝ち負けの様相を呈したら失敗する。相手に「説得された」と思わせず「自分で決めた」と思わせることが肝心。にらみあう構図ではなくお互いが同じ方向を向くように状況をコントロールする。
自発的な参加の心理的な結果として、約束感と義務感が生まれ、それがこんどは被験者を自分の役割に縛る。(P.213)
人々は恫喝で(たとえば銃を突きつけるなどすれば)社会的コントロールの源に従うが、そうした状況での服従は、しっかり見張っている場合に限られる。銃撃手がいなくなれば、あるいはその制裁力が排除されれば、服従も止まる。正当な権威に対する自発的服従ならば、非服従に対する主な制裁は、当人の内部からやってくる。それは恫喝には依存せず、自分の役割に献身しているというその当人の感覚から生じている。この意味で、かれの服従には内部化された根拠があり、単に外的な条件だけで生じるのではない。(P.213)
従順な行動には保存性がある。 (中略) 被験者に要求される行動の反復的な性質は、それ自体が束縛力を持つ。被験者はますます強くなる電撃を加えるにつれて、それまで自分のやってきたことを正当化しなくてはならない。その正当化の方法の一つは、最後まで続けることだ。もし中断したら、かれは自分にこう言うことになるからだ。「これまで自分がやってきたことはすべて悪いことだった。中断することはそれを自認することだ」。(P.225)
「影響力の武器」で言う、コミットメントと一貫性の話。
「影響力の武器」という本がある。(第三版まで出てるんだな。文庫本にならないかな。)
個人的にめちゃくちゃ影響を受けた本なので、このブログでも何度か書いている。
影響力の武器の目次はこんな感じ。
第1章 影響力の武器 第2章 返報性―昔からある「ギブ・アンド・テイク」だが 第3章 コミットメントと一貫性―心に住む小鬼 第4章 社会的証明―真実は私たちに 第5章 好 意―優しそうな顔をした泥棒 第6章 権 威―導かれる服従 第7章 希少性―わずかなものについての法則 第8章 手っとり早い影響力―自動化された時代の原始的な承諾
「影響力の武器」の第6章:権威のところで紹介されているのが、スタンレー・ミルグラムの「服従の心理」。
服従についての実験をやって、そのまとめがこの「服従の心理」という本なんだけど、なんちゅーやばい実験やってんだこの人。今やったら被験者から訴えられる。(実験は1960年代に行われた。)
「es」という映画がある。
実際に行われた監獄実験をもとに作られた映画で、発表当時とても話題になった。見た人も多いと思う。
新聞広告によって募集された男たちが、ドイツの大学地下に設置された擬似刑務所で、囚人と看守の役を2週間演じ続ける実験が行われる。
このesのモデルになった実験が「スタンフォード監獄実験」というんだけど、さらにその元ネタがスタンレー・ミルグラムの服従実験。
「服従の心理」はマジで衝撃的な内容だった。引用したい内容はたくさんあるんだけど、あえて訳者あとがきの一部のみ引用する。
本書には、多くの被験者のナマの声が掲載されている。自分の行為に気がついて深い後悔にとらわれる人もいれば、まったく無意味な弁明をしゃべり倒し、記憶を改変してまで自分のやった行為に直面しようとしない人もいる(ミルグラムはかなり露骨にそうした人への侮蔑をあらわにしている)。が、おそらく似たような状況で、自分が一度や二度は使ったことのある弁明だったりすることも多いはずだ。読者の多くは、この弱く従順な人びとの弁明に、自分自身の姿を見いだして赤面することだろう。そして次に権威の非道な命令に直面したとき、以前とはちょっとちがった対応ができるのではないか。 さらに一部の被験者が、電撃を加えたことの後ろめたさを隠蔽すべく、被害者を見下してかれらの無能さに責任転嫁することで自分を正当化しようとしたという記述には、多くの読者がはっとさせられるのではないか。多くの差別やいじめの源泉がここにはある。差別やいじめは、差別されたりいじめられたりする理由があるはずだ、と考える人も多い。だが時には逆に、理由もなく差別したことを正当化するために後付で理由が捏造されることもある。そうした心の働きもこの実験は見事に記録している。(P.342)
的確過ぎて赤面した。
追加で書いた
簡単な数値計算をするときはbcコマンドよりgoshを使うことが多い。
% gosh -e '(print (+ 1 1))' -E exit
なので、こういうコマンドを用意している。
#!/bin/sh gosh -e "(print $1)" -E exit
~/binにgでシンボリックリンクを張って使っている。
% g '(+ 1 1)'
状態を持ちたかったり、少し複雑な計算をする時は、rlwrap gosh。
gaucheでワンライナーについて同僚と話題になった時、下記の様にbeginで囲って書いていたそうなのでメモがてら。
% gosh -e '(begin (print (+ 1 1))(exit))'