出張が多いです。出張先でgit pullするときに.ssh/configを書き換えて社内に戻ったらまた.ssh/configを書き換えて・・・っていう運用がいい加減めんどう過ぎました。.ssh/configにはmatch構文があるそうでshanaidesuka.shコマンドを作ってssh接続先が自動的に変わるようにしました。
shanaidesuka.shは社内無線LANのアクセスポイントにつながっているかどうか判定するだけのコマンドです。
出張が多いです。出張先でgit pullするときに.ssh/configを書き換えて社内に戻ったらまた.ssh/configを書き換えて・・・っていう運用がいい加減めんどう過ぎました。.ssh/configにはmatch構文があるそうでshanaidesuka.shコマンドを作ってssh接続先が自動的に変わるようにしました。
shanaidesuka.shは社内無線LANのアクセスポイントにつながっているかどうか判定するだけのコマンドです。
コマンド プロンプトは管理者によって使用不可にされています。 続行するには何かキーを押してください....それでは聴いてください。powershell。
start d:\
熊本地震で被災しました。まだ余震が続いていますが、ひとまず無事です。ので、熊本地震の時のことを書いておこうと思います。熊本地震のときのことはGoogleカレンダーに少しメモしていたので、それをもとにします。
4月14日(木) 普段通り仕事帰りに公園で懸垂、家に帰って筋トレ、いつもより少し追い込んで筋トレしてました。ほんで奥さん帰ってきて一緒にご飯食べてテレビを見ていたら21時26分ころからカタカタ→ガタガタガタガタ→グワッシャガゥワタガタグワシャあqwせdrftgyふjと揺れたので外の駐車場に避難しました。避難したのは揺れが収まってからです。外にはアパートの他の住人も出てきていました。この時に感じたのは「あぶない、無事ですまないかも」といった感じ。奥さんと一緒に車の中で寝ました。
4月15日(金) 10時ころに出社。社内はものが散乱していました。棚も崩れてるしPCのディスプレイもぐちゃぐちゃ。他のみんなはもう少し早く出社してすでに片付けを始めていました。夕方前に解散。帰宅。1~2日分くらいの着替え、羊羹や水(炭酸水)、懐中電灯などをすぐ持ち出せる形で準備。いつもより早い時間に風呂に入りました。余震を警戒していました。外に出れる格好でいつもより早い時間に就寝。
4月16日(土) 01:26 まさかの本震。隣に寝ていた奥さんが怯えて覆いかぶさって来たこともありますが、揺れがすごくて起き上がれませんでした。ズドンからのいきなりグワッシャグワッシャの揺れ。「死ぬかも」ではなく「死んだ」と思いました。揺れが長かったのもあって「次の瞬間に家が倒壊する」「あと何秒もつか1秒後に倒壊か」みたいなことを考えながら奥さんをつかんでベッドの下に引き釣り下ろそうと試みましたが結局できず揺れがおさまるまで二人ともベッドの上でした。電気はつかない。携帯のライトと懐中電灯をつけると2m50cmくらいの高さがあるクローゼットのドアが倒れてきていました。当たっていたら骨が折れていたと思いますが、運良く当たらなかった。本棚もぐちゃぐちゃ。用意していた荷物を持って上着を着て外へ。もちろん他の住民も出てきてた。隣のアパート1階住人がドアからでられないのか、窓から逃げようとしていて、みんなでお手伝い。その間もガンガン揺れがくる。たぶん震度5とか6とかのやつ。外に出てからは「死なないかも」と思えるようになりましたが、火事や周りの建物の倒壊を考えると「やっぱ死ぬかもわからんね」と感じましたね。とにかく室内で寝るなんてことは考えられなかったので車中で過ごしました。少し仮眠をとりつつ。仕事柄けっこう出張が多いが、出張じゃなくてよかったと思った。この地震で奥さん一人とかつらすぎる。
4月16日(土) 朝。他の住民は家に入っていきましたが、我々は昼過ぎまで車中で過ごしました。電気は回復していたけど水がでない。ご飯を炊いて、溶き卵を電子レンジでチン。トイレについては昨晩お風呂の水を貯めていたので無問題。普段話したこともない近所の住人とやたら情報交換した。どこで水が出てるとか食料がうんぬんとか生活用水なら高校か介護施設に行けばもらえるとか。今晩は大雨らしいとのことで近くの高校に避難することに。避難所初体験。教室を開放してれていたので1年1組の教室で過ごす。いびきの大合唱で全然寝れない。ガラスの多い部屋なのにみんなクツをガラス窓の下に置いてることが印象的だった。ガラス割れたらどーすんねん。知り合いが同じ高校の体育館に避難していることがわかり雑談。1回目の地震からほとんど食事していないことがわかりオニギリと卵をおすそわけ。支援物資は着ていないようだった。大人は疲れてるけど子どもたちは走り回って遊んでいるのが印象的だった。
4月17日(日) 余震がずっとはんぱない。本震と言われてたのが実は前震だったこともありみんな疑心暗鬼モード。1年1組で目覚めたあとは家に帰った。昨晩は風呂に入れていないので知り合い宅でもらい湯。とにかく被災地から離れるのが得策だと思い比較的被害の少ない県北の旅館などを調べる。結構空いてるので明日から泊まることを検討。
4月18日(月) 朝から出社。やっぱりみんな来てる。社内は一回目よりひどい。インターネッツがつながらないし光電話なので電話もアウト。携帯から全国のユーザーに社員一同、会社も無事ですの連絡。早めに切り上げて昼過ぎに帰宅。昨日しらべた旅館に行く予定がなぜか予約でいっぱい。みんな考えることは一緒か?それとも被災者受け入れか?諦めて1年1組に泊まることにする。余震のストレスと疲れで頭が働かなくなる。昼ころまでは冴えてたのに。耳栓とアイマスクを持って行ったのでいくぶんよく眠れる。
4月19日(火) このまま疲れがたまるとやばいと判断。社長に相談し奥さんと二人で社長宅に避難。会社は休んだ。風呂を借りて洗濯させてもらいご飯食べて就寝。
4月20日(水) 社長と一緒に出社。あまり集中できないながら仕事を片付ける。社長宅に帰って近くの公園で懸垂、筋トレ。ご飯を頂いて風呂入って就寝。奥さんが随分まいっている。明日は朝から自宅の様子を見に行くことにし、様子次第で自宅に戻ることを検討。
4月21日(木) 朝から奥さんと一緒に自宅の様子見。余震で家がガタガタ言うのが怖い。今日から水が出るようになっていた。鉄さびが出ているが風呂に入れるレベルと判断。今晩は試しに自宅で寝ることに決定。出社。仕事。社長宅に帰宅し荷物をまとめて奥さんと一緒に自宅へ帰宅。
今に至る。
覚えていることをだらだら書いた。推敲はしていない。
こういう記事を書いたらギフト券や本やCDや食料を送ってくださる方がいらっしゃいました。本当にありがとうございます。かたじけない。頂いたら頂いたで申し訳ない気持ちになります。ですが、嬉しいです。自分も誰かに何か送りたくなりますね。
ギフト券を送って下さった方、アカウントに登録するときにメッセージを返せるようですが間違ってスキップしてしまいました。欲しいものリストはブログにしか書いてないので、きっとこの記事も見てくれていると思います。ありがとうございました。
インターネッツ乞食的なことはあまりしたくないのですが・・・、地震がつらかったので公開してみます。本とかクツとか筋トレグッズとか関係ないものも登録されていますがご容赦ください。
ずうずうしいことは承知していますが、もしギフト券をくださる方がいらっしゃれば「valvalloooooooooow[atmark]gmail.com」宛にお願いします。